問われたら、答える。それが豚の流儀です。少なくとも自分が積極的に関わろうとしていることについては「何故?」と聞かれた時、躊躇うことなく理由を答えられる人間でありたいと常々思っています。

プロデューサー、あなたの善意も助言も僕は素直に嬉しいです。プロデューサーの言いたいことも分かっているつもりです。
でも、僕の4月15日は変わることはありません。
理由は「行きたいから行くんだ。それだけだ」…これじゃ余りに芸が無いし、説明としてつまらない。ですので、愚にもつかない話を交えながら、何故僕の4月15日がNHKホールで決定されるのか、それを少しでも伝えられたらなぁ…という考えのもと以下の文を書こうと思います。たぶんツマンネな話になるので、せっかく二代目マジ面白いと褒めてもらった矢先に申し訳ないんですが汗(ちなみに「行きたいから行く」っていう理由を僕は否定する気はありません。これもまた理由足りえていると思います。自分の中だけで通用する理由、自分にだけ理解できる理由が欲しいならこれで十分でしょう。ただ他人に伝えるとなれば話が変わってきますよね。他人は「行きたい」の「たい」の部分が知りたいわけですから、その答えが「行きたい」では自分の気持ちは伝わらないと思うのです。人間同士ってそこまで便利にできてませんから。)
まず16日が面接だった場合どーすんの?という問いですが、僕にとってこれは今の今まで思いつきさえしないことでした。16日に面接があるかもしれない、そういう可能性は想像できます。が、「16日に面接がある」ということを僕は「障害」として考えることができない人間なんですね。だから、プロデューサーに言われて「あぁ、そういうことを考える人間もいるのだな」と感じたのが素直な感想です。イベントの後で疲れてるんじゃないのか、それで面接行けるのか、行ったとして満足のいく面接ができるのかということですが、行けることは行けるでしょう。僕はイベントの次の日だから疲れてるということを理由に行かないということはしないと思います。じゃあ面接そのものが満足のいく結果になるかどうかということについてですが、普通の状態でいってもどうなるかわからないので、別に変わらないだろうというのが僕の見解です。何も跳び曲の直後に面接しろと言われているわけではないので、面接でできることとできないことは平時と同じと考えます。
で、次は15日に重なった場合ですが、これはまず重ならないように毎日お祈りすることが第一でしょう。ちなみにギャグじゃなくて本気で言ってます。それでも重なったらどーすんの?ということですが、自分が割と素で受けたいと思っている企業なら面接を選ぶでしょう。じゃあチケはどーなる?と聞かれれば、先代を拝み倒してヤフオクに出してもらう、もしくは誰かに売るとかあげるとか、それぐらいしか答えが無いのですが(苦笑)。最悪の場合を考えれば、金をドブに捨てることになったという結末もありえるでしょうが、それぐらいのリスクを負ってでも行きたいと思うのが4月15日なんですね。貧乏人がでかい口を叩きおってと笑ってる方もいらっしゃるやもしれませんが、今回は無理にでもでかい口を叩きたいと思っています。そして、自分が割と素で受けたいと思っている企業でなければ?の場合はもう少し大きな問いかけがその背景にあると思うので、いよいよ愚にもつかぬ話の本領発揮といきましょうか。
結論から言えば僕は行きます。どっちに?NHKホールにです。ここでやっと前述した理由の説明をする段階まできたのですが、この理由は何も4月15日のことにだけに限定されることではないのです。じゃあ、もっと広く僕の就活全体の姿勢に影響を与えているものなのかといえば、それでも狭すぎます。僕が生きる上で指針になっているもの、日々の中で何かを判断する際に照らし合わせてみるもの、ここで僕が理由と呼んでいるものはそういうものなんです。ここまで大げさに言ってしまったので、こいつは一体何を言うんだと期待して頂いた方には肩すかしな答えだとは思うのですが、僕がNHKホールに行くのは「自分の欲を何よりも大切にしたい」という思いからなんですね。「結局行きたいから行くんだと変わらねーじゃん」と呆れられている方、申し訳ないです。「行きたいから行くんだ」よりは多少具体的な言葉にはなってると思うのですが…。(ちなみに、この「欲」は「願い」とか「希望」といった言葉とは置き換えられないものだろうと考えています。単純にそういう言葉じゃ綺麗すぎるだろう、もっとドロドロした日野日出志的なものの言葉の方が似合うという理由からなんですが。)この「自分の欲を大切に」が僕が生きる上で最重要視していることで、何かを選ぶ際はこれが基準になります。で、今回のことを例に挙げれば「NHKホールでほっちゃんに会うこと」と「割と素で受けたいとは思っていない企業の面接」、どちらが自分にとって素直な欲か考えた時、僕にとってはほっちゃんなんです。プロデューサーは「行きたい気持ちはある。だが現実は違う。」と書いていました。ここで言われている「現実」という言葉が正確には何を指しているのか、それは御大のみぞ知るといったところでしょうが、僕が推測するには「生きていくためにしなければならないこと」といった類のものだと思います。就職できない→おまんまを食いっぱぐれる→生きていけない。簡単にすればこういうことです。(実際にはもっと複雑で、就職できないが即食いっぱぐれるに繋がりはしないでしょうが。)だから就職するために面接を受けなくてはならない。その面接のためには何かが犠牲になっても仕方ない。成程、これは誰だって受け入れられる考えです。僕もまた「その通りだ」と納得できます。僕だって食いっぱぐれれば困ります。やたらに金を使う僕と、常にある程度の金を残せるように金を使うプロデューサー、どちらが将来的に更に金が必要になるのか、火を見るより明らかです。ならば僕もまたプロデューサーのように、いやプロデューサー以上に就職にこだわらなくてはいけないのではないか。そうもなってくるでしょう。にも関わらず、納得しているにも関わらず、僕は4月15日を変えようとはしない。何故か?それが自分の欲だから。では何故そうも今現在の欲に固執する?将来的にも食いっぱぐれず生き続けて、おもちゃと共にある生活を望みはしないのか?無論望む。では、その可能性を大きなものにするために4月15日を変更するか?それはできない。何故?当たり前のように繰り返される日々もガラスの王国だと、砂上の楼閣だと、そう考えるからだ。来るはずだった明日なんてものは簡単に壊れてしまうものだろうと、そう思うんです。今すぐに天災で自分が死ぬ可能性だってあるわけです。こんな冗談ぬきの基地外だらけのご時世だから表を歩いてたら運悪く死んじゃいましたってこともあるでしょう。こんなご時世じゃなくとも何かのはずみに車にでも突っ込まれたら簡単にウボアーです。極端な話、面白半分にでも家に火つけられたら終わりです。そんなに明日を信じられない人間がなんで必死になっておもちゃなんぞ買い集めるのかと聞かれれば、やはりここにもそういったリスクを背負ってでも叶えたい欲があるのだということであり、失いたくないものが増え続ける毎日だからこそ、失うことへの恐怖に思いを馳せられるのでないかと思うのです。江頭に共感できるのもこういう理由からで、いつ死ぬとも、いつ何を無くすともわからない世界だから、今目の前にある自分の欲を無視なんてできない。今を足掻いてもがいて必死に生きているんです、自分の生きているこの瞬間を自分の手で幸せなものにしたいと渇望して。折角与えられた命と時間なのだから、そこで沸き起こる自分の欲を抑えての人生とは一体何なのでしょう?誰のための、何のための命なのでしょう?
僕は「やらねばならぬこと」など、この世に一つもないと考えています。生きることすら人は拒絶できるのですから。やらねばならぬこと、やりたいこと、全て選択の結果行われているのだから、人が成す全ては、僕がやっていることもあなたがやっていることも全て「やりたいと望んで選んだこと」であると言っていいでしょう。故にプロデューサーの前にある「現実」と僕の前にある「現実」は違うのです。
誰だって腹が減ったら飯を食べたいと思うし、眠くなれば寝たいと思うでしょう。うんこをしたいと思えば便所にだって行くはずです。これらは本能的な必要性に迫った欲ですが、就職が生きることに繋がるのなら、就活欲は食欲、睡眠欲などと並ぶ人間にとって第一義的な欲とも考えられます。ひたすらに生きようとするその姿に誰がケチをつけられるでしょうか。生きていたいと望む者は誰でも、その生きることに必死な姿勢を見下す権利など持っていない。無論僕もです。しかし僕はそのような第一義的な欲が人間にとって、僕にとっても素直に了解されるものであると認識しても、他人に素直に了解されないような欲、人様から見れば愚にもつかない欲、生きることに不要な欲もまた僕自身にとっては第一義的なものを上回って自分にとって重要であると認めざるをえず、否、認めたいのです。本能的なものに根差した欲とそうでない欲は多くの人々にとっては比べられるものではないのかもしれません。例えるならボクシングの階級のようにヘビー級、ミドル級とそれぞれのカテゴリーの中で争うだけであり、下のものが上のものと比べられることはないということなのでしょう。明日のおまんまのためなら、大切大切といっていたものもガラクタ同然にもなってしまうのかもしれません。しかし、僕の中には相手が明日のおまんまであろうと「上等だ」とばかりに喧嘩を売りにいく大バカ共が棲んでいるようなのです。ヘビー級もミドル級もライト級もフライ級も、垣根無しにぶつかっていくような状態。そして、その大バカ共に惚れてるからこそ、僕は今ここにいるわけですが…。なにやら話の流れが変わってきそうなので続きは次回、もし機会があったらということにしましょうか。
「たかがオタイベント一つで、こいつは何をぬかしているのか」そう思われても無理のないことでしょう。しかし、それ程必死で、それ程愛おしくて、それ程欲しているということを、僕がそれ程本気だということが少しでも伝わればと昇った朝日を見ながら、今日のテスト無理だろ…と思いつつ願っています。
わざわざ自分の日記に書かずともプロデューサーのとこにコメントするなり、明日今日にでも直接話せばよかったのかもしれませんが、愚にもつかない文章で人様の日記を汚すのは申し訳ないですしね。それに直接会って話したらぜってー途中で話が逸れるような気がしたんですよハッハッハ。
はぁ…でもやっぱ今更言えないよなぁ…あのパン、本気で試食品だと思って食いついたなんて…。
1月26日 8時45分 愛すべき友に向け、ここに記す。